東金の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

千葉県東金市歴史探訪
東金市の概要
東金市は、千葉県の中東部、九十九里平野のほぼ中央に位置し、古くから農業・商業等の産業を中心に発展してきた山武郡市の中核都市です。首都圏の50〜60キロメートル圏に位置する東金市は、東関東自動車道・京葉道路・千葉東金道路やJR京葉線直通電車などにより、都心への交通利便性の高い地域として注目されています。
また、成田空港・千葉港などにも近接し、高速道路をはじめとする新たな交通網の整備も進む中、市の周辺では幕張新都心・かずさアカデミアパーク(木更津市周辺)などの大規模プロジェクトが多数展開しています。

東金のあゆみ
房総半島太平洋岸の中核都市として発展し続けている東金市は、遠く旧石器時代から人々の生活が始まり、今日に至っています。また数多くの有形、無形、民俗文化財が調査・発見され、貴重な歴史的資料として保存活用されています。旧石器時代、および縄文時代の遺跡の多くは、丘陵地帯に分布しており、最も古い住居跡に縄文時代初期(約7千年前)と考えられるものが発見されています。この後、約5千年の間、悠久の縄文文化が東金において開花しました。

弥生時代には、水田農耕・織物(紡織機)・金属器が広まり、道庭遺跡からも弥生文化を示す資料が多く発見され、すでに山武地域の中核であったと考えられています。
また、古墳時代になると遺跡数も増え、現在、家之子古墳群や油井小塚原古墳群をはじめとする14の古墳群が残っており、平安時代にかけての集落跡・鉄生産跡・寺跡なども発見され、このころに村の原形がつくられたことが分かります。

鎌倉時代後半の建長元年(1249年)には、北条長時が松之郷に久我城(古賀城)を築いたといわれています。以降、久我城は久時、守時の3代にわたり北条氏と関係が深く、やがて鎌倉幕府滅亡とともに廃城となりました。願成就寺には北条三介の墓と伝わる五輪塔が残っています。

室町時代に東金を支配したのは、土気城(現・千葉市)の城主・酒井小太郎定隆でした。定隆は、領内全域を日蓮宗に改宗させ、隠居後の大永元年(1521年)に三男隆敏とともに東金城へ移ったとされています。その後、この地は5代にわたって東金酒井氏に治められ、城下町としての現在の町並みの原形が築かれました。

江戸時代、東金は徳川幕府の直轄領となり、家康が鷹狩りに来遊するために、東金と船橋を結ぶ「御成街道」と、東金と海岸を結ぶ「御成新道」が同時期につくられました。その後、この道を通って九十九里の海産物などが東金に集まり、江戸へ運ばれるようになりました。東金は問屋町として発展し、「上総の黄金町」といわれ、たくさんの人で賑わいました。廃藩置県を経て、明治6年(1873年)に千葉県の管轄となり、明治22年(1889年)の町村制で8町村が誕生しました。

昭和29年(1954年)4月1日に市制が施行され、人口34,681人で東金市がスタートし、昭和30年代の両総用水事業の進捗に伴う農業基盤の整備、小中学校の施設整備、昭和40年代の国道126号東金バイパスの整備などを経て、発展を続けてきました。平成2年(1990年)11月7日にはフランスのリュエイユ・マルメゾン市との姉妹都市締結を交わし、国際化も進んでいます。このように社会基盤が大きく整備される中、「人・自然 ときめき交感都市 東金」を将来像とする「東金市第3次総合計画」を策定し、平成13年(2001年)4月に市民と共に進めるまちづくりがスタートしました。


東金の名前の由来
その昔、東金は鴇(とき)が舞い飛ぶ丘陵地でした。市街西方の大地に「鴇ヶ峰」と呼ばれる丘があり、そこに築かれた城が「鴇嶺城(ときがねじょう)」と呼ばれ、これが後に「東金」になったといわれています。


東金の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
東金市立東金図書館
住所: 〒283-0068
千葉県東金市東岩崎1-1 [地図を見る]
電話番号: 0475-50-1190
開館時間: 9:00〜17:00(但し、火曜日及び、6〜8月は9:00〜19:00)
休館日: 月曜日、祝日の一部、第3木曜日、年末年始
入館料: 無料







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